講師の窓口 堀ちえみ

堀ちえみ ほりちえみ

タレント/がんサバイバー
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第6回ホリプロタレントスカウトキャラバンで芸能界入りし、82年3月「潮風の少女」でデビュー。
1983年に出演したドラマ「スチュワーデス物語」が日本中で大ヒットし、アイドルとして歌にドラマに活躍。 現在では7児の母となり、テレビ出演の他、教育や食育にまつわるトー クショー、音楽活動と幅広く活動中。 2017年、デビュー35周年を迎え、品川ステラボールで35周年アニバーサリーライブを開催。家庭と仕事を両立 しながら多忙な日々を送る。
2019年2月ステージ4の舌がんが発覚。術後の検査で4月には食道がん(ステージ0)も見つかり手術。
2020年1月からテレビ復帰。現在はがん克服の経験を活かし、同じ病に苦しむ方々に向けて講演活動もしている。

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出身・ゆかり 大阪府
オンライン対応
職業 タレント
出演形式 講演、トークショー、ウェビナー
講演ジャンル
  • 人生、教育、モチベーション、人生経験・人生観、健康、育児、逆境、家族、闘病体験、医療、食育、がん

主な講演テーマ

『ステージ4の舌ガンを乗り越えて生きる  ~キャンサーギフト・大切な家族~ 』

みなさん ご存知の通り 私は2019年の1月に舌ガンと診断されました。
しかもリンパ節へ転移していて悪化状態がもっとも進行しているステージⅣ
舌ガンになる以前にも特発性重症急性膵炎、特発性大腿骨頭壊死症、関節リウマチ
神経障害性疼痛 と、難病・大病を経験しては克服して前向きに生きてきた私ですが
この時ばかりは正直「なんでまた・・私ばかり・・」と自分の人生に絶望しました。

今回ばかりは助からないかもしれない。私はどうなってしまうのか、と不安にさいなまれていました。 このまま緩和ケアをして人生の幕を下ろしてしまおうとも考えました。
そして病状を子供たちに話すと
娘から「お母さんが可哀想、色々な病気と闘って来て今度はがんなんて可哀想すぎる」と言われその時に初めて「生きなければ」と自分を奮い立たせました。
子供たちに可哀想だと思われたまま自分の人生をとじるわけにはいかない。
子供たちのために生きなければと。
ただ「生きよう」と思ったとたんに死ぬ事が怖くもなりました。
現在は手術も無事に終わり、再発の心配をしながらも精一杯に今を生きています。
茫然自失な私を奮起させてくれたのは“家族の愛”と多くの方々からいただいた励ましの言葉でした。

Cancer gift

ガンはわたしに生きることの意味について 学ばせてくれました。
お陰様で講演ができるまでの状態になりました。
講演では、ガン経験を通し心にいだいた絶望・不安・怖れ・期待・喜び・希望と、
堀ちえみが思う前向きな生き方をお話しさせて頂きます。
改めて家族の大切さ、命の大切さをお話いたします。

『堀ちえみ子育て奮闘記』 

経歴

1967年

2月15日 大阪府生まれ。

1981年

第6回ホリプロスカウトキャラバンでの優勝をきっかけに芸能界へ。
アイドル「花の82年組」のひとりとして80年代のアイドルブームを牽引。更に1983年放送の大ヒットドラマ「スチュワーデス物語」に主演し「教官!」「ドジでノロマな亀」のセリフが流行し1984年の新語・流行語大賞に指名され大衆賞を受賞。

1987年

3月 20歳にして惜しまれつつも電撃的に芸能界を一時引退。
結婚・出産・育児を経て芸能活動を再開し、バラエティー・情報番組 等に出演。

2005年

歌手活動を本格的に再開し、18年ぶりにソロコンサートを開催。

30歳代から現在にかけて難病や大病を経験するも家族の愛と多くの方々からの励ましの言葉によって乗り越え、ガンを克服できた今。これから“いただいたgiftの恩返しを多くの方へ”との思いで講演活動を開始。
そして、“またステージで歌う”ことを叶えるべくレッスンも始動。

主な実績

CM

白元 「ミセスロイドワン」
ブルボン 「くだものいっぱいゼリー キューティー★マミー」
サントリー 「なっちゃん」
EPSON) 「カラリオミー」
武田薬品工業 「ベンザブロック」

映画

色即ぜねれいしょん

連載 執筆

東京新聞生活面 「子育て日記」 / 関西電力環境室ホームページ 「ナチュラルびとになろう」

CD

『80's IDOL SONGS COLLECTION』

DVD

『Memorial live 2005』(松竹)

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